全国災対連ニュース №61

 全国災対連ニュース 2009年10月28日 №61
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 被災者が主人公の復興に向けて
 岩手宮城内陸地震から1年4か月 現地を視察し交流集会


 
 宮城災対連と国民大運動岩手実行委員会の主催(全国災対連の後援)で10月17・18の両日、「被災者が主人公の復興に向けての交流集会」を開きました。今回の交流集会は、2008年6月14日に発生した「岩手・宮城内陸地震」の被災者復興の運動に取り組んだ現地報告をふまえながら、問題点や教訓、今後の運動について交流するために開かれました。
 1日目は、中央団体、兵庫、新潟の代表、高橋千鶴子衆院議員(日本共産党)ら国会関係者約30人が仙台に集合。バスで宮城県栗原市に向かい、荒砥沢地滑りの現場を視察しました。幅約900メートル、斜面長約1300メートル、面積96ヘクタール、最大落差約150メートルという最大規模の地滑り。展望台に登ると、巨大な地層がごっそり移動し、緑をはがれ、無残な山肌を露出した姿が見えました。すぐ下は荒砥沢ダムです。ダムへ流入する恐れのある150万トンの土砂排除作業中で、50万トンを排除した段階だといいます。ダンプカーがひっきりなしに走っていました。
 その後、栗原市栗駒沼倉の大峰開拓地の被災農家を訪ねました。震災でこの人(77歳)の家は、天井から空が見えるほど壊れ、修理するか新築するか迷ったそうです。「解体すれば全壊とみなす」制度があると知って、被災者生活再建支援法の150万円と義援金の450万円で昨年暮れに新築したといって喜んでいました。この開拓地はイワナやイチゴ、盆栽などで生計を立てています。
 一関の被災者「開拓した農地が、あっという間にめちゃめちゃ」
 1日目の夜は、一関市内のホテルで「現地被災者との交流会」をおこないました。交流会には、荒砥沢を視察したメンバーに加え、岩手労連の代表や一関市厳美町祭畤(まつるべ)、市野々原の被災者が参加しました。祭畤地区から参加した人は、「開拓してやっと農地にしたのに、あっという間にめちゃくちゃになった」と震災当時の様子を話していました。そして、昨年10月~11月に避難所から地域に帰ることができました。「クリスマスに子どもたちと一緒に地域で交流会を開いたら、元気が戻ってきた。過疎化の中での震災復興は町おこしでもある」と話していました。
 2日目、高橋千鶴子衆院議員が来賓あいさつ
 2日目は前日に続き午前9時から一関市内のホテルの会場で「交流集会」を開きました。
 鈴木露通さん(国民大運動岩手県実行委員会)の主催者あいさつに続き、前日から参加した高橋千鶴子衆院議員が来賓としてあいさつしました。高橋さんは、被災者が震災後の困難を一つ一つ乗り越えてきたことに敬意を表しました。そのうえで今回の災害の課題として、①市町村合併による住民と行政の関係の希薄化、②被害認定が実態に即していない、③長期避難なら知事判断で全壊と認定できる「みなし全壊」を適用させる運動が必要、の3点を指摘。災害は党派を超えた問題なので、民主党政権に国民的な仕事をさせるよう取り組んでいきたい、と述べました。
 大槻憲四郎さんが地震と地滑りのメカニズムを解明
 交流集会の記念講演は「平成20年岩手宮城内陸地震の特徴」と題して、東北大理学研究科名誉教授の大槻憲四郎さんがおこないました。
 大槻さんは、地震に関して現在どのような観測がおこなわれ、何が分かるようになったかを詳しく説明しました。現在、衛星による歪みや傾斜の観測によって100キロメートルで10ミクロン(100分の1ミリ)の伸び縮みが分かるそうです。その他、電磁気の観測や地中のラドンの観測によって地震の予測に役立てようとする研究などを紹介しました。岩手宮城内陸地震について、どのような力が働いて断層を動かしたかを解明。今回の大規模な地滑りは、火山噴火の際に出来た溶結凝灰の層が、地震波によって揺すられ滑ったものだと述べました。
 被災地 宮城・岩手からの問題提起
 交流集会は「被災地の直面する課題」について、問題提起をもとに討論がすすめられました。
 佐藤文男さん(栗原市議)の報告
 「栗原市で地震の被害がひどかったのは栗駒地区と花山地区でした。震災直後、花山地区に行こうとしたが、道路が不通で抜け道を通りやっとたどりつきました。全壊4軒、半壊5軒と報道されました。上沢地区も落石が2カ所あって、数日後にやっと入ることが出来ましたが、畑、屋敷の地割れがひどい状態でした。
 花沢地区では、人命優先ということで家屋に応急危険度判定の赤紙が貼られました。多くの人が(被害認定が出たと勘違いして)家を壊そうとしていました。共産党は、初期段階の対応についての手引きを配りました。その後、全壊か半壊かをめぐって再審査、再々審査を求めて不服審査をしても覆りませんでした。全壊・半壊のはざまの人は、救われないという不満が残っています。
 避難解除で家に帰り始めていますが、花山の浅布地区では11戸のおおかたが被害を受けましたが、戻るという人は3戸でした。多くはソバ作りや兼業農家ですが、過疎化が進んでいて将来の見通しが立たないので戻るのをあきらめています。年寄りが多く、自力で住宅が再建できない人のための対応が課題になっています。栗駒の耕英地区は花やイチゴの栽培をしていますが、農業共済の適用外なので見舞金すら出ていません。稲作以外にも救済策が必要です。」
 小野寺喜久雄さん(一関民商副会長)の報告 
 「家屋の被害度調査を自治体では税務職員が担当していますが、建築の仕事や市議をやっていたので、新潟の経験もいかして独自におこないました。内閣府は、被害を外形だけでなく経済的被害に置き換えて判定することを認めています。私の調査によって半数ぐらいは見直すことが出来ました。この問題で内閣府とも交渉しました。
 義援金を配りきらないで残しているという問題もあります。
 目に見えない被害もあります。崖崩れによる堰き止めダムで山林被害が出ていますが、林業への救済策がありません。支援制度が市町村レベルに及んでいません。121の支援策があるといわれますが、条件が厳しく適用されないということがあります。
 市町村合併で住民と職員の間に温度差があります。私は一関市のはずれに住んでいますが、被害調査をするため逆方向の厳美地区まで往復すると100キロあります。
 一関市の対策本部の動きが鈍くなかなか復旧が進みませんでした。そこでやってきたのがボランティアでした。災害時に民間で共同して行動出来るネットワークが重要だと考えます。」
 被災地の問題提起をもとに討論
  注:「 」でくくった部分は、発言要旨を編集者がまとめたものです。文責は編集者。
 ◇奥州市の被災状況(亀梨恒男奥州市議から被災地の補足報告)
 亀梨さんは「奥州市では衣川区、胆沢区の2カ所に集中して被害が出ました。共産党議員団は7次にわたって市と交渉し、その中で義援金は被災者に渡すべきで、他の用途に使うべきでないと主張し、市もこれを認め、ほぼ全額を被災者に配分しました。また、仮設住宅も当初は被災家屋が10戸に満たないので造らないといっていましたが、交渉して造らせました。石生地区は山の頂上付近で地盤が崩れ3戸が被災しました。市は、山を直すのはダメだといっていたのですが、結局2億数千万円かけて山を直し、元の所に戻ることが出来ました。田や溜め池など農業の復興も進んでいます」と、奥州市の状況を報告しました。
 ◇義援金の取り扱いについて
 兵庫県民会議の岩田さんは「雲仙普賢岳噴火被害(義援金で基金をつくり復興が進んだ)、北海道奥尻島の地震・津波被害(余って問題になった)、阪神淡路大震災(1800億円集まった。日赤の3原則によって配分)などの事例を紹介し、被災者本位に配分する要求運動が重要だ」と述べました。
 ◇農業の復興について
 新潟の藤原さんは「中越大震災では、中山間地の棚田に被害が出ました。知事が『一人残らず救済する』といったので、それを根拠にして要求運動に取り組み、基金事業を活用して地域に見合った『手づくり田直し』事業などで救済をしました」と経験を話しました。
 ◇家屋の被害調査について
 全国災対連の谷川さんは「内閣府も家屋の被害調査の運用指針はガイドラインであり、自治体が実情にあった運用をするよう求めています」と発言しました。
 栗原市からの参加者は「栗原市の場合は税務課員が調査に歩きました。内閣府と交渉した後で、市職員の研修をおこないました。泉防災大臣(当時)は『そこで生活できるかどうかが基準』と答弁しているので、それにもとづいてやりなさいといったのですが、市の担当課の認識が不十分だったりして、栗原市の場合は全壊認定が10戸に達していません」と発言しました。
 奥州市からの参加者は「奥州市の場合は税務課員とプロの建築屋さんが一緒に調査に回りましたが、判定に差はほとんどありませんでした」と話しました。同じ奥州市からの参加者は「震災直後、奥州市は県からの問い合わせに対し『被害はゼロ』と回答していました。被害調査の目線が被災者に向いていなくて、税金が集められるかどうかに目が向いている」と発言しました。
 栗原市祭畤からきた高橋さんは「2回、3回と被害状況を見てもらいましたが、2倍ぐらいの差が出ました。一つの建物の中に住んでいる所と物置を分けているのですが、壊れたのは物置だったのです。それは被害の対象にならないというのです。物置であっても生活の一部なので被害家屋と認め、援助してほしい」と訴えました。
 共産党国会議員団秘書の岡部さんは「内閣府は今年6月に被災家屋認定についての基準を見直しました。この実効性がどれだけあるのか具体例を一つ一つ把握して、その都度内閣府に持ち込み、その結果を持ち帰って自治体に実行させるという運動が必要だと思う」と発言しました。
 ◇国・都道府県・自治体の役割と責任について
 講師の大槻さんが発言。「国は災害が起きたらすぐにどれくらいの被害が出たのか予測出来ると思います。しかし、個人にとって地震はせいぜい一生に1回あるかどうかでしょう。長期にわたることへの対処は公的なエキスパートが入って仕組みをつくることが必要ではないか」と提起しました。
 岡部さんは、「国交省、農水省、自衛隊、消防庁などは、災害時にどのように出動すればいいか危機管理の立場から考えています。一方で、国として被災者をどう救済するか、自治体はどうするか、その視点が問われています」と述べました。
 一関民商の小野寺さんは「地元の専門家、技術者などでネットワークをつくる必要があると思います」と訴えました。
 全国災対連事務局の岩﨑さんは「災害復興の根本的責任は国にあるが、都道府県が自らの責任を回避し、上を向いた仕事になっていて住民の声を無視しています。東京都政は、自分の身は自分で守れ、自治体に頼るなと、これを条例にまでしています。『新自由主義』『構造改革路線』です。住民の意識の中にもこれが入って『自助、共助、公助』と、責任の所在が逆転しています。都道府県の姿勢を運動によって変えていかなければならないと思っています」と発言しました。
 ◇復興基金について
 新潟の藤原さんは「中越地震のときは生活再建が中心の基金でしたが、中越沖地震では新たに経済産業省の400億円の枠が設けられ、1600億円の基金がつくられました。金利0.5%で運用して5年間で120億円の資金で被災者を支援しようとするものです。これは直接自治体が支援できないコミュニティづくりや、仮設住宅で営業した場合の支援などに枠が広がっています。中越沖地震では地盤被害がひどかったのです。これも認定はゼロだったのですが、自治体に認めさせました。やはり運動が大事だと思います」と発言しました。
 ◇高橋千鶴子衆院議員の助言
 「私があいさつで発言した3つの点が、集中して討論されていたと思いました。基金のメニューや配分の仕方については3つ目(地方の裁量権)の問題です。国は使途を細かく指定しないといっているのですから、自治体がいかに民主的に運用するかが問われているのです。
 被害認定の問題ですが、2年前の被災者生活再建支援法改正のとき、地盤災害が改善されました。建物は壊れてなくても地盤が壊れた場合は被害認定されるようになりました。しかし住宅を解体することが条件にされました。一歩前進したのですが、次の改定でこれを乗り越える必要があります。そのときに岩手宮城内陸地震の経験・運動が生きるのです。そして4年前の改定では遡及適用が認められました。これも議論の中で可能になったのです。
 被害調査の問題では、税務職員は資産を評価し税金を集める専門家であっても、家屋の被害を評価する被害調査とは違うのです。この方法しかないといっていますが、それではダメなんだという実態を積み上げて改善させる必要があると思います。
 私が国会に出た翌年の04年7月、新潟で集中豪雨被害がありました。そのとき新潟県は災害救助法の指定を躊躇していました。激論して指定することになったんですが、災対連などのネットワークと運動で自治体を励ましていく、そうした役割が私たちにあるのではないかと思います。」
 鈴木露通さんのまとめの発言
 「交流集会の参加者は、2日目は6都県の41人でした。現地視察のみの参加者25人を加えると66人になります。あらためて感謝を申し上げます。
 全国の被災地団体の話を聞いて今の課題が何か明確になりました。これを受けて、岩手、宮城では問題を整理しながら要請行動を年内に実施していきたいと思います。日常的な防災活動を含めた安心安全な地盤づくりなどと結合させて取り組みたい。『災害対策マニュアル』の学習会も各県で実施していきたいと思います。討論を聞いて、今まで岩手県への働きかけが弱かったと反省しております。県への要請行動も強めたいと思っています。」
 この後、主催者の鈴木新・宮城県労連議長が閉会あいさつをおこない、交流集会は終わりました。